日々のきろく

自分の気持ちを大切に。感じたことを。

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「難しい」の解像度を上げてみる。

 

以前に「書くことは難しいけど楽しい(でもやっぱり難しい)」と書きました。

好きなように書ける私のブログとは訳が違って、読まれることが目的にある文章作りでは、「どんなことを求められているか」や「どんなことを伝えられるといいのか」というような、誰かの反応が気になり悩んで迷って考えてばかりでした。

悩めば悩むほど、余計に迷うことが膨らんでいって。

「こんなふうに書いてみたい」というぼんやりとした理想があるのに全く近づけなくて、もどかしく感じながら終わってしまいました。

 

そもそも普段から、自分の思いを自分の言葉に落とし込めるほどに深く考えていないなと反省しました。

だから自分の思いを伝えられるような表現や言葉がなかなか見つからず、それを補うためにどんどん文字や言葉を重ねてしまい、自分の思いからも読みやすい文章からも遠くなってしまって。

誰かのためになるような文章を書く力はまだありません......。

文章を書くって、本当に難しいと感じました。

 

「難しい」=「前に進めること」かも。

「難しいこと」=「前に進めること」というのは、「難しい」と感じながら日々を過ごしているうちにふとたどり着いた、ものすごく個人的な解釈です。

 

例えば私の場合..........

サッカー観戦は好きでもプレー経験は全くなくて、実際にボールを蹴るのは子どもとの遊び相手くらいです。

それくらいなら私レベルでも困っていませんし、蹴っていて「難しい」と感じることもありません。

プロのサッカー選手のような、私とはレベルが全く異なる方のプレーを見ても、「すごいな」「かっこいいな」とは思いますが、「こんなふうにボールを扱ってみたい、プレーしてみたい」という理想を描くまでには至らないので、

サッカーに対しては「できない」とは思っても、「難しい」という感覚を持つことは、たぶんこの先もないと思います。

理想の姿を描いたり、できるようになりたいという気持ちにはならないので、「難しい」と感じるところまで辿り着かないといいますか。

 

そう考えると、「難しい」と感じることは既に一歩踏み出していることで、漠然とでも「こうなりたい」という理想があることなのかな、と思います。

理想と現実にギャップが感じられるからこそ悩めるし、伸びしろもあるし、その差を埋めるために頑張ったり前を向いて進めるんじゃないかとも思います。

 

「できない」と「難しい」には大きな差があって、「難しい」と感じることは、自分にとって未来のあることかもしれない......。

 

何かよくわからない表現ですみません。
ちゃんと伝わるといいのですが、やっぱり難しいです。

でも何かに「難しい」と感じたときに、前向きになれることばかりではないかもしれないけれど、「頑張ればいいことがあるかも」と心の片隅に置いておきたいだけです。私自身が。

 

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それにしても、「読まれると思うと書けないこと」「そんなに読まれないと思うからこそ書けること」があるのは私だけでしょうか……。

この記事も、そんなに読まれないこのブログだから書けること、です。