黄色い表紙に惹かれて、俵万智さんの子育てをテーマにした短歌とエッセイが添えられた「たんぽぽの日々」を読みました。
私にとっては、「ああそうだった」と思うことと、「今まさにそうだな」と思うことの両方の気持ちになることがたくさん書かれていて、共感しながら読み終えました。
いま、一番心に響いたのは下記の歌です。
叱られて泣いてわめいてふんばってそれでも母に子はしがみつく
この歌のエッセイには、こんな文章が添えられていました。
子どもにとって、ある意味自分は全世界に近いくらいの存在なんだな、と思うのは、この歌のようなときだ。
本当に、そう思います。
思い出したのは長男の幼い頃のこと。
私に怒られた長男は大泣きしていて、夫は長男をどう慰めようかと思案していたらしいのですが、そんな時でも長男が選んだのは私。
「ママ~」と泣きながら私に抱き着いた長男を見て、「絶対こっちに来ると思ったのに。結局はママなんだよなあ」と言いながらがっかりしていました。
幼い子にとって母の存在は本当に大きいと、しみじみ感じたことを思い出しました。
そんな長男も成長し、他の世界もたくさん広がって、母は世界のすべてではなくなっているはず。
それでも、まだ母の一言って大きいんだろうなあと感じることもあります。
次男は幼くても「二人目の子」らしく、状況に応じて父、母、兄をうまく使い分けていて、見ていても賢いなと思います。
長男の幼い頃よりは、母は世界の全てではなさそうな気がしますが、どうなんでしょうね。
自分自身が子どもだった頃を思い返しても、母の存在、言葉、機嫌の影響は大きかったと思います。
子どもの頃に嫌だなと思ったことを反面教師としていることもありますが、一番大切にしたい家族に甘えすぎているなあと思うことも、よくあります。
別の歌に添えられたエッセイには、こんな文面がありました。
子どもの環境を考えるとき、大事なことはさまざまあるだろうけれど、「おかあさんの機嫌がいい」というのが、一番ではないだろうか。
「いろいろあるかもしれないけど、お母さんはいつも楽しそうだね」と思われるようになりたいと、改めて思いました。
自分をご機嫌にするために、気持ちを切り替えられる方法を大小いくつも用意しておこう。
私の中でうまく言葉にできない気持ちが、たくさん文章になっている素敵な本。
「子どもと仕事」「子どもと私」のような、何かと板挟みになったような気持ちになった時には読み返そうと思います。